人生

わたしはずっと、自分が我慢して笑っていれば全てうまくいくとおもった。

誰かのせいにするのがいやだった。変えられない過去、消えない痛みや孤独、それと向き合い生きる時も、誰の力も必要ないとすら思っていた。

 

頼ろうと求めるよりも、誰かの痛みや悲しみに目を向け

なけなしの母性や愛で満たしてあげれば、自分も生きてる実感が持てるのだと信じてきた。

 

だから人から求められたら、そこの真意を汲み取ることができずに、ただただ与えよう、我慢しよう、そうすれば、生きてる気が、すると思っていた。

 

だけど気がつけば心はカラカラだった。

いつもそうだ。

私は母性や愛を人に与えることに飢えているが、それと同じくらい、人から母性や父性の愛をもらいたいと心の奥ではいつも燃えるように思っている。

 

だけどいつも目の前には、寂しさを抱えた孤独な人があらわれる。

私は、寂しさと孤独の辛さだけはよくわかる自負がある。

だからどうしても手を伸ばさずにはおれない。

言葉では、私のことを思っているようなことを言っても、やっぱり根っこにあるのは、満たされたい強烈な思い。

お互いに満たしあえたら、いいのか

私だけが与えることは続かない。

もうすでに心がバラバラだ。

 

でも人の目の奥にある寂しさを見ると

ああ、これが失楽園の、あの時の、ことなのか、と後から、思うんだ。

 

私は生きてる実感がほしくて

堕落を繰り返して抜け出せず瀕死になることを何度も何度も繰り返してきた。

 

 

おわってる。

 

 

助けて欲しいな。

この声は、どこに、とどくの?