これはわたしの持論

結局宗教によって自信を失ったら本末転倒なんですよ

神を信じるって究極は自分の内側ですから

恐れたらまけ

自分の堕落性に臆病になったらまけますよ

なにがあっても大事なのは信じる力、のみ

信仰の力の消えた人たちは目と波動でわかるのでわたしは近寄りたくないです

すり減らされるので

 

ちょっと拒食気味で、断食状態でした

5キロくらいごそっと痩せて

ごはん口にすると吐くのを数日繰り返して、ました

わたしがはじめて18歳で摂食障害になったとき、1人でした

母も友達も兄弟もいない中たたかい、負けました

でも今は違う

職場の人がおうちに泊めてごはんを食べさせてくれたり

母が本当に病気なんじゃないかと心配してごはんの時間一緒に食べてくれます

 

そのおかげで少しずつごはんも食べれるようになってきました。

 

タバコを本当にやめようと、思いました…

大好きな人たちと一緒においしくごはんを食べたいからです…

1日1日わたしは明日死んでもいいように生きてます

隣にいないあなたたちになにがわかりますか?

たまにみことばを語るだけのあなたになにがわかりますか?

ふざけんな、ですよ

1日は千年と同じ価値があります

永遠の命を燃やすのです

 

 

1人じゃないことが、なにより心強いのです

偉そうな説教より

暖かいご飯が、食べたいのです

 

その中にあるのは愛だから

 

 

 

ごはんが愛とはそういうことでしょう?

 

 

 

 

私は生きて誰かを幸せにしたい

人生それだけだ

目の前の人1人幸せにできないで

なんになる?

 

私はいつも必死だ

 

それだけ。